冒険家コリーの大解剖スペシャル!
今回は私、コリーことブログ主の自己紹介です。
No offenceですが、いわゆる大学を卒業して企業に就職して安定に働いていくという道を選ばず、自分の道を切り開くことになった私の四半世紀をお見せしていきたいと思います。
はじめに
人それぞれ生まれ育つ環境も違えば、触れあってきた人々・言葉・文化も異なります。
自分自身のことを考えると、日本に生まれ教育を幼い頃から不足なく与えてもらいここまで健康に生きてこられた。非常に恵まれていると思います。
しかし、恵まれているからと自分の出来る行動に制限をかけたり自分自身の弱みにネガティブになったりせず私が出来ることは何なのかを考えて生きていく。それが私が生きる上で前向きに生きる軸になっています。
どんなキャラクター?
キャラクターというと英語では「character」で「性格」を表しますが、日本語では昨今「天然キャラ」などという風に、特定のコミュニティや世間でその人がどのように見えているかを表す言葉でも使われています。
性格
- 大雑把
- ポジティブ
- おっさんぽい
- 元気
- プライドが高い
- アウトドア
周りから見るキャラクター
- 冒険的
- エネルギッシュ
- 元気で明るい
- ちょっとふざけてる
- がさつ
- 行動的
大体こんなものだと思うのですが、この箇条書きだけ見ても「へえー」位だと思うので私の軸となった言葉を紹介します。
私のモットー
”Where there is a will, there is a way.”
「意志があるところに道あり。」
アメリカのことわざ、第16代米大統領エイブラハム・リンカーンが引用した言葉としても有名
この言葉を知った高校生の頃、この言葉に非常に納得したことを覚えています。
「○○をしたい」という意志が「人生」という道を作る。
意志があれば何でも出来る、なんとかなるという心の中で大きな軸となりました。
学生という立場である以上、誰かの意志や決定に甘えたり依存したりということは容易な場合が多いでしょう。
しかし、その中で自分で選ぶことが自分で生きていくことの力になると考えられるようになったのです。
また、有名な洋画の「プラダを来た悪魔:The Devil Wears Prada」の劇中でメリル・ストリープが発する台詞に、
”The decision’s yours.” 「決めるのはあなたよ。」
映画 The Devil wears Prada より
”You chose. You chose to get ahead.”
「決めたのはあなた。前に進むためにあなたが選んだの。」
映画 The Devil wears Prada より
これらの言葉から、自分の人生の決断は自分の意志によって決められている。
そして、その決断は自分の意志から来ているものだからそこに責任を持つのは自分なのだと。
「誰かからのプレッシャーや、やらなきゃいけないからやるしかなかったんだ」
と考えることや言うことはいつでも出来ますがその現状を変えずに進むことを決めたのは自分です。
なので、自分が来た場所に言い訳をして逃げるのではなくいつでも自分で責任を持てるように私は道を選ぶときは自分の意志に納得感を伴わせるようになりました。
もちろん、選択の自由があるということは非常に恵まれており幸せな状況です。
それを理解し感謝を忘れず自分が出来ることを探す。
それが私の選択するときに伴う責任だとも言えます。
経歴(海外経験を中心に)
幼少期(2歳半~6歳)@ロンドン、イギリス
親の海外赴任にともない家族で3年半滞在。
はじめは現地の保育園に半年入園するが、日本語が喋れなくなりそうだったことを父が心配し日本人幼稚園へ編入。
当時の英語力は、ネイティブスピーカーに話しかけられてちゃんと対応していたらしい。祖母曰く英語の発音はとってもよかったとのこと。
私自身、当時の記憶はあまりないが察するに赤ちゃんが母国語を学ぶ感覚で短期間のみ英語に触れ英語の発音は自然に身についていたが文法などの構成を理解することはなかった、という状況で日本人幼稚園に入ったことで英語力はそこから上がることはなかった様子。
児童期(日本へ本帰国)
小学校、中学校ともに帰国子女枠としての入学はしておらず、
小学校で英語の授業がたまにあると、ネイティブスピーカーの先生と話してみなよという先生の“粋な計らい”でトライしてみるがもはや感覚で英語を話せなくなっていてもどかしい思いと、勉強は得意だけど出来ないことが露呈することが、幼いながらのプライドが許せないという状況で少しコンプレックスになりました。
中学校に入ってから周りにほやほやの帰国子女や何ならネイティブの友達も出来て、単純に楽しく英語を学ぶ時期に入りましたが、自分の期待と裏腹にスピーキングとリスニングの力は全然ありませんでした。
中学3年生でオーストラリアへの3週間研修旅行へ行かせてもらうことになり、現地に行けばロンドンにいた頃の英語感覚を取り戻せるのではないかと、英語に関して何の準備もせず臨みました。
しかし結果は、英語の文法の学び、日本語から英語に訳すことでしか話せなくなった状況があまりにもロンドンにいた当時と違い、自分の言っていることが本当に通じないことにショックを受けました。
さらに、幼かった私は何度も根気よく聞いてくれる本当に優しいホストファミリーに勝手な申し訳なさや恥ずかしさを感じ、コミュニケーションを取ること自体少しずつ避けるようになってしまいました。
高校の選択授業で、ネイティブスピーカーの先生と5.6.人の生徒で編成するオールイングリッシュのディスカッション・プレゼンテーションの授業をとりました。そこで、自分のスピーキング・リスニング力の低さが顕著に表れ授業に全くついて行けないけど、ついて行けていない事実も言えないという事態に陥り、ついに英語で話すことに恐怖心が伴うトラウマのような形になりました。
しかし、大学受験に向けて一番の得意科目となったのは依然として英語でした。
結局英語という言語とその背景にある文化が好きだったのだと思います。
予備校で取っていた英語の先生から学んだ様々な英語の基礎がいままで本当に生きています。あの授業で先生に言われた文法の理解と反復を怠らずよかったです。
学生期
大学受験に向けて頑張っていた英語も大学入学後は、必修科目として履修していたものの英語への高いモチベーションは特にない状態で4年間が過ぎる状態に。
しかし、頭の中ではいつか留学をして一人で海外で生活する経験を市内と後悔するというふわっとした固い意志だけはありました。
ただ全国大会上位常連レベルの部活に所属し、4年間は部活動に没頭し大学院には行ってそこで留学できたらいいかなくらいで先生に相談していたりしていました。
しかし、大学院不合格とCovid-19によるパンデミックにより少し状況は変わりました。
就活を全くしていなかったため、しばらくの間将来について現実逃避しつつ考える時間を持ちつつ辿り着いた結論は、いま留学しよう、でした。
そしてパンデミックが完全に落ち着いた状況ではないものの留学の準備を始め、大学は休学し留学が始められるときまでは、バイトを掛け持ちし留学資金を貯めることにしました。
カナダ留学
最初に留学をしたいと考えていたときは漠然と海外で一人で生活して日本の今いる環境では触れられない文化や価値観をたくさん吸収して様々なことをその現地の言葉で伝えて理解したいと考えていました。
しかし、留学先との連携を担当する教授から案の定「目的のない留学は帰ってきたときに得られるものが少ない。」と門前払いを食らい考え直しました。
そこで私の頭の中に浮かんだのは自分の専門分野であった体育と大好きな子どもに関わることでした。
結果的に留学先では、小学生に夏休みの間サマースクールを提供する大学内の団体でボランティアスタッフとして関わらせて頂きました。
ここでの経験から改めて子どもの教育現場に関わることが自分の好きなことであり、やりたいことであると気づくことが出来ました。
卒業後
カナダへの留学で変わった大きなことは、
私にはまだまだやれることがたくさんある
と自信を持って考えられるようになったことです。
ー世界一周したい!
ーまだ住んだことのない国でも生活してみたい!
お金はたくさん貯められなくても30歳になるまでにやれることってかなりあるぞ。
自分はそれがきっとできるぞ。
行動してなんとかする自信があります。
それはこれまで生きてきた環境と囲まれ来た人々の中で成長できた部分だと思います。
しかし、私が受けてきた良い影響を言語化してこれからたくさんの人に伝えることが出来たら、自分の足で進みたい未来に一歩を踏み出せる人が増えていければ良いなという想いで活動していきたいです。
それではAdios~
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